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いつも中途半端なデキソコナイ。なべちゃんのプロフィール

いつも中途半端なデキソコナイ。クリエイターなべちゃんのプロフィール

どうも!なべちゃん(@Nabe_chan0910)です。

僕は現在ブログやSNS、地域ポータルサイト運営といったネット上で情報発信をメインに活動をしています。

今後は、地元の兵庫県姫路市と大阪の二拠点生活をする予定です。

 

僕はこれといって、誰かに勝るようなスキルは持ってないただのネット好きのWebディレクターでした。

10年以上前から当時のSNSの「ミクシィ」で上京日記やブログを始め、周りの人と繋がり合いながら色んなことに挑戦してきました。

20歳の時に上京する時は、「ミクシィ」でつながった方がすでに東京にいて一緒に遊んだりしました。

当時の僕は、地元の友達しかいなかったにもかかわらず新しいことに挑戦できたのはネットのおかげだと思っています。

所持金4万円で、実際の知り合いとかもコネもない状態でもそういった周りの人に支えられながら生き延びることができたんだと思っています。

 

さて、今からはこれまでの僕の生い立ちから今までの活動とそしてこれからどのように仕事のことに対して考えているのか?
どこに向かっているのかを書いていきます。

 

20歳で生死をさまよう。そこで見たもの…

この話は、僕の周りにいる人ならしつこいくらいに言いまくっているんですが人生の中でも超重要なターニングポイントだと思っています。

普通に生きてきて、「死」について考えたことはありますか?

僕の「死」を考えることのきっかけについて…

 

家族で過ごしたことがない

初めて家族全員で揃ったことがあるのは20代になってからです。ちなみに、僕が長男で下には長女、次男、次女の4人兄妹です。

僕が小学生の頃、父親のDVで養護施設に入ることになります。

その時に、長女はまだ小さいままで同じ養護施設の別のクラスにいました。

次男、次女は乳児院に行ってました。

中学生になると、僕は養護施設ではなく地元に戻ることになります。

そして当時の加害者の父は精神科へと入院します。

 

学校もまともに行くこともないままでした。勉強ができる環境ではなかったし、家にも居場所がありませんでした。

16歳ごろからは家にも帰らず、学校へも行かず…

時が経つにつれて、下の兄妹たちも施設から自宅に戻ってくるものの僕は別の居場所を求めていました。

 

年上の男の人が怖かった

小学生の頃のトラウマって本当にすごいですよ。

ひとつ上の先輩とかに対しても、少しでも怒らせると殺されるんじゃないかってくらいに小学生の時に受けた虐待がフラッシュバックされます。

少し矛盾する話かも知れないけれど、僕は世間で言われる不良でした。

学校にも行かず、髪の毛も染めて校則も守らない。
それが自己承認欲求を満たす方法だったんですね。

でも、僕には小学生の頃のトラウマが残っています。
先輩に会うと、萎縮してしまいます。

トラウマがなくても萎縮するのにさらに恐怖でした。

 

社会人になっても、それは変わらず言われるがままに自分が嫌なことでもイエスマンだったんです。

仕事も、建築現場の仕事をしていました。

高いところも苦手で力仕事にも向いていないのに働いていました。

さらに雨の日は、休みになりお金をもらえないこともあり食費もずっと外食でもらったお金は消えていくのでした。

今となっては経験を積めたのですが生きた心地はしていませんでした。

 

見つけた居場所

僕は、友人の紹介で工場で働くことになります。
ここでは、毎日仕事もあり食事もボーナスもあり
社宅で過ごしていました。

ローンを組むこともできるし社会保険で税金に関しても会社がしてくれます。

週休二日制でした。

稼ぎたいときには、残業をしていました。

僕の居場所はここかもしれない…

 

そんなある日、僕は37度くらいの熱が出てしまいました。

少し体調が悪くても、会社には迷惑をかけることなんて出来ないからと一週間…

次の週には起き上がれず数日が経過して体調が戻らないまま出勤したらそのまま倒れてしまいました。

僕の居場所とは…

 

死んだはずのおじいちゃんが立っていた

夢ってみたことない人はいないと思います。
夢に、おじいちゃんが出てきました。
周りの景色は真っ暗で、足元には川が流れていました。

桃太郎の昔話くらいの川ですね。ジャンプしたら向こう岸とか飛べそうな川幅でした。

その向こう岸におじいちゃんが立ってたんですよ。

手招きしてるように見えました。
ただ、あっちにいけってしてるようにも見えたんですよ。

「あ!おじいちゃん久しぶりー!」って感じだったんですけど、どうやら手招きじゃなくて
あっちにいけってしてるようでした。

僕は、後ろになにかいるのかと振り向くと周りに光が差し込んできて目をさますのです。

目の前には、マスクの二人組の男の子が二人。

「誰?」

声にならない声で僕はつぶやきました。

覗き込んでる二人組は、目に涙を浮かべていました。

そして再び眠りへ。僕はICUに居たのでした。

 

1メートルの「死」

今でも忘れられないあの時の夢。
おじいちゃんが立っていて、勘違いして向こう岸へ渡っていたら…

あの川は三途の川だったのかも知れない…

「生」と「死」の距離を可視化してみたような体験でした。

さて、目を覚ましたあの日に目の前に居たのは僕の同級生でしてICUの面会の5分間の間でした。

今夜が山だと言われていた次の日だったということです。

病気の招待なんですけど、ヘルペス脳炎という病気でした。

ヘルペス脳炎:発熱、頭痛、嘔吐、首の硬直、意識障害(覚醒度の低下、幻覚・妄想など)、けいれん、記憶障害、言語障害、人格変化や異常行動などが認められます。

全ての症状が当てはまっていました。

特に意識が戻った時は、誰が目の前に居たのかもわからない状態で言語障害でうまく話せませんでした。

さらに

死亡率は、10%から15%で生存者の約25%は寝たきりで高度の後遺症を認め、完全回復あるいは後遺症が軽度で社会復帰する

とのことです。社会復帰して完全回復ではなく後遺症が残った場合は、記憶障害や人格障害の頻度が高い。

とこんな感じですね。

風をこじらせると怖いですよ。さらに、迷惑かけないようにって結局入院してしまうようだとだめですね。

これから長く働きたいなら、意地でも休んで回復してから働いたほうがいいですね。

 

で、結局僕は回復しました。覚えてないこともあるし覚えられないこともあるし忘れてしまうこともあります。

これは、この時のことがきっかけなのかも知れないしもともとかも知れないけれどもどっちにしても答えはわかりません。

 

さて、この日から僕は死にました。

これまでの人生は後悔の多い人生でした。

周りにも迷惑をかけていて、何も出来なかった。

「死」の経験をしたのは僕の周りのほんの数人しか知らないできごとなのです。

 

だからこそ、僕はこれからは自分の人生を生きると決めました。

 

他人のために生きない

僕は、所持金4万円で上京をしました。
自分のやりたいと思ったこと興味を持ったことをやると決めたからです。

周りの声ではなく、自分の心の声に従って生きることを決めました。

決断した理由は

  • 自分のことを誰も知らない
  • 否定する人が居ない
  • 周りの声で挑戦しようとしたことが邪魔されない
  • どんなことでも挑戦できる
  • 挑戦できる環境が揃っている

上記でもあるように、周りの目を気にしなくなりました。
そのおかげで、いろんなことに挑戦することができました。

 

そして仕事としては、

  • 住み込み新聞配達
  • イベント主催者
  • マネージャー
  • カメラマン
  • Webディレクター

と色んな経験をしてきました。

新聞配達は、上京したばかりの頃に住む場所とお金がなかったので取っ掛かりとして働きました。

イベント主催に関しては、ダンスイベントだったんですがダンサーになりたい夢を持ってる人たちの輝き体現できる場所を作りたかったからです。

当時流行っていた「ミクシィ」を活用し、歌舞伎町で220人の人が集まりました。

 

詳しくは、時間を作って書かせていただきます。

 

自分の時間を作る

自分の時間は作らないといけません。
僕は、4年前に兵庫県姫路市に戻ってきて作ったのが地元情報ポータルサイトでした。

一ヶ月後には、ベンチャー企業にヘッドハンティングされ一緒に運営するものの会社がなくなる都合で個人で独立しました。

そこから一年くらい運営していくものの、ビジネスモデルも確率ができず低迷期に入ります。

僕のできること

  • 写真撮影
  • 写真編集
  • 動画編集
  • ウェブデザイン
  • Webディレクション
  • ブログ
  • 地域ポータルサイト

とここまでできるもののどれも誰かよりも突き抜けたものはありませんでした。

ただ、このままでいても生活はできない。

日々、時間が立つにつれ電話も止まり
お金もなくなり…。

精神的にもやられてしまいました。

信用もなくなってしまいました。

が、僕はこのままでは終われません。

できること、

全部やればいいんだよ。

これに気づいてしまったんですよ!

かの有名なスティーブ・ジョブズ氏は

ー点と点をつなげる。

こう語っています。

バラバラの経験は将来何らかの形で繋がる。自分の好きなことをやって得られた経験はMacを生み出す時に大いに役に立った。

そして、後からでしか点と点はつながらない。

将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。

ひとつの肩書きで勝負するには、競合が多いが複数の肩書を持っていることによって価値は高くなる。

その価値を活かすためにも自分の時間を作ることが必要だと気づきました。

他人の時間を生きるというと、時給とかで雇われることになります。

そして、気づいたら人手が足りないからとずるずると引っ張られて搾取されつづけてしまうんですよ。

「お前はここでしか働けない」

という洗脳でどんどんやる気を蝕んでくるから気を付けたほうがいいです。

僕は、24時間しかない時間の中で睡眠は絶対にしたいし
好きなことや自分に使える時間の比率をどんどん増やしていきたいですね。

 

 

ABOUT ME
なべちゃん
なべちゃん
地域情報を発信するWebプラットフォーム、ウエディングムービー制作、動画編集代行したり。フリーランスWeb&映像クリエイター。「もっと自由に働きたい」ポンコツでもできることはある。メリッサブノアが大好きです。
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